建築家石出和博が心で見た日本の美しさを写真とエッセイでつづった日本のかたちとこころを癒す叙情詩・こころ紀行



母の桜
新しいランドセルを背負い、下を向くと目の前にかぶさってしまうほど大きな帽子を気にしながら渡し船に乗った。そのころ私の家の下に空知川が流れていて堤防から渡し舟が出ていたのだった。
四月というのに山間の小学校にはまだ雪が残っていて、新調したゴムの短靴はべショべショになった。やさしそうな先生が一人一人写真を撮ってくれたが、それが貧しかった子供の頃の唯一の私の記念写真となった。
さいた、さいた、さくらがさいた。みんなで声を張り上げて読んだが、私は恥ずかしさで一言も声が出なかった。しかしみょうに教科書の中の羽織を着た母親と、半ズボンの男の子が満開のさくらの木の下を手をつないで歩いている様がいつまでも頭からはなれなかった。
私の母は桜の木がすきだった。何本も小さな木を育てていたが、特に堤防のそばにあった山桜の老木を大切にしていた。春になると、みんな落ち着いていられないほど、ひたすらさくらの花を待ちわびていた。そして期待どおりの咲きっぷりを見せてくれた。
六メートルはあろうか、その老木の中間ほどに私は自分専用の腰掛け所を作った。
くる日もくる日もそこに登っては空知川のキラキラ流れていく先に、別の世界があって、自分を呼んでいると、空想の世界を作りあげていた。夏には甘いサクラの実がなって、それを食べながら昼寝をした。
十八歳の四月、札幌に出る日、母といっしょに桜の木にも別れを告げた。
人に迷惑をかけるな、涙で贈ってくれた注意の言葉、汽車が出るまで、しっかり握って離さなかった手のあたたかみ・・・・・。
言葉では言いあらわせないぐらい私の将来を念じてくれていたんだと思う。その母の祈りが私の心に脈々と生き続けて、これまで仕事を進めてこられたのだろう。
そんな母も去年、父の元へ逝った。
春になると、さいた、さいたの桜の花のイメージとともに歯をくいしばって生きていた母の姿を思い浮かべ、私の心の原形質を呼びおこしてくれる節目の月を迎えるのである。




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