建築家石出和博が心で見た日本の美しさを写真とエッセイでつづった日本のかたちとこころを癒す叙情詩・こころ紀行



飛叡山

自宅のある札幌の界川から藻岩山の山頂につづく山道の中ほどに美しい峰があってそこに座禅所を作った。
毎朝、6時には作務衣を着て修行僧の様に山道を登る。
ちょうど親鸞が参籠をしたように、それにあやかって
一字違いの飛叡山と名付けた。

一番急な登りは30度ほどもあって、上から見ると絶壁に見える。
そんな坂道を万歩計を付けて登るのだが、ちょうど4000歩ほどで座禅所に付く。朝の風と淡い光、むせかえるような草木の呼吸の中に一人座していると自然と調和し精神が浄化してくるような思いになる。
最後に中村天風の真理瞑想行を大声で読み上げ、同じ道を下って一日が始まるのだ。

最初のころは、雨の日も風の日も、頑張って夢中で登った。
100日はあっという間に過ぎた。しかし、1000日を過ぎた頃から苦痛になり始め、なんと無駄なことをしているのだろうと、自分自身を疑うようになった。それでも歯を食いしばって登り続けた。
同じことを繰り返すことのむずかしさ、そんな時金沢大乗寺松野宗純老師の説教を聞く機会があった。
老師は「あれこれ考えるから疑うのだ。水の中にいる魚が、これが水であると考えてはいない。そしてこれが水であると信じて泳いでいるようでは、これもまた本当ではない。信じているということは疑いを持っていることと同義なのだ。たとえば、本当の自分の子供なら、自分の子供だと信じることはないだろう。信じるという気持の中に疑念心が隠れている。悟りの行為とは、信じる心を超えたところにあるのだ。」

座忘し、瞑想行を読み、自然と向き合う。木々の枝や草が毎日違う姿を見せ、花を咲かせてくれる山道を今日もまた登った。





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